1  |  2  |  3  |  4  |  5    次>    最後>>

人と生まれて

テーマ:自己を理解する

  孤独感に悩まされている人

  

  危機的な場面に遭遇すると、誰でも赤裸々な自分をさらけ

 だす。多くの困難を切り抜けてきた人ほど、だから自己への

 理解が深く、幻想をもたないのが常である。

  

  動物は子孫をもうけ得る時期だけしか交わりません。

 然るに我々人間は、このいまわしい万物の霊長はですね、

 快楽が得られさえすればかまわんというわけで、時と場所を

 わきまえません。とトルストイはいっている。

  

  なるほど、そのとうりだと思う。人間の性欲は時と場所を

 わきまえず起こってくる。が、動物たちでも、いつでも食べ

 物が手に入り、敵から攻撃される危険のない環境に長く

 おかれると、性欲は恒常的になってくるらしい。

  

  動物園のライオンは、いつも満腹であり、あとは何もする

 ことがないのである。もっぱら異性を求めて交わるという。

 そのため、野生では絶滅を早めているライオンが、動物園

 では増えている。

  

  性欲を強め、性行動を起こさせるのは、嗅覚である。

 しかし、男女では少し性欲の起こり方が違っている。

  

  男性は、観念的な要素、つまり、想像したり、見たり、

 聞いたりしただけで、強く性的な興奮をおぼえて性行動に

 移りたいと感じる。が、女性は、皮膚にふれ、粘膜えの

 刺激によってでなければ、性的興奮は起こらないのが

 普通であるらしい。

  

  男性の性行動は、多分に、大脳の新しい皮質の知的な

 働きに係わり合いがある。これに対して女性の性行動は、

 古い皮質の本能的な働きによるところが多いといわれて

 いる。

  

  時と場所を選ばない人間の性欲は、食べ物や環境に

 関係があるらしい。発達した広い大脳の前頭葉にかかわり

 があるそうだ。むろん、種族保存のための本能によっても

 動かされる部分も大きいのだが・・・。

  

  食欲と並んで人間の最も根源的な欲望が性欲である。

 性欲を満たすことによって、男女はヨリ深く理解しあい、

 心と心を強く結びつける。

  

  孤独はこの世で一番恐ろしい苦しみだ。どんなに激しい

 恐怖にも、みんなが一緒なら、堪えられるが、孤独は死に

 等しい。

    「袖すりあうも他生の縁」

  「友には友があり、その友にはまた友がある」

   

生きるということ

テーマ:ことわざ  名句  名言  格言  箴言

      生きる喜びを感じたい人に

  死なれぬ命の難面くて、さりとは悲しく浅ましき

 元禄文学を代表する芭蕉、近松と共に三大文豪に数えられ

 ている井原西鶴の作品 「好色一代男」に出てくる言葉で、

  

    毎日毎日が辛くて死ぬるものならいっそ死んでしまいたい

 が、でも死のうにも死ねないせつなさ、誠に悲しくもあさまし

 い、といったほどの意味である。

   

     真剣に自分の心に忠実に生きようとすればそれだけ

 大きな障害にぶつかる。悲しさにすがって生きていかなけ

 ればならない人生は、なんともおどろに浅ましいことか。

 でも、人間は一度生まれてきたからには、どのような思いを

 しても、どんなに大きな障害が待ち受けていても、死ぬまで

 は一生懸命に生きなければならない。人間の生命はなに

 よりも貴重であり、何にも変えがたいから。

  

  また、中国のことわざで、道は近くても行かねば到着せず

 ことは小さくても行わなければ成就しない。というのがある。

 

  ああでもない、こうでもないと、いたずらに思い悩んでいた

 ところで、何の役にも立たない。まず行動することである。

 明日こそ、明日こそと考え、いくら胸を膨らませて、夢を

 広げても仕方がない。どんなに小さな一歩でもいいから、

 歩き出さなければならないだろう。一歩踏み出せば必ず

 先へ進む。一歩が千回繰り返されれば千歩の距離になる

  

  生きるというのは、目的に向かって一歩一歩と近づいて

 行くことだろう。たとえその目的がどのようにささやかな

 ものであっても・・・・・。

 

  一日でも動き出すのが遅れると、それだけ後悔する量が

 増えてくる。   と言うことだろう。

      

 

大自然に学ぶ

テーマ:ことわざ  名句  名言  格言  箴言

  自然から何かを学びたい人に

  苔寺の良さを理解し、苔を美しいと感じるのは湿気の中に

 生きる日本人だけの感覚である。自然と闘い、征服する

 過程で文化を築き上げてきた欧米人と、自然に逆らわず、

 できるだけ崩さず、自然と融和していく過程で文化を育てて

 きた日本人との差であろうか。

  

  また、自然を翻訳するとみんな人間に化けてしまうから

 面白い。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか、みんな人格

 上の言葉になる。人格上の言葉に出来ない輩(もの)には、

 自然が毫(こう)も人格上の感化を与えていない。

   

  「木は天にまで達しないように配慮されている」と言う

 ドイツのことわざがある。

  

  どのように年ふり、長い樹齢を保っている木でも、決して

 天まで届くほど高く大きくはならないように配慮されている。

 つまり、どんな事柄にも自から限度があると言う意味につか

 われる。

  

  「とかく、大きくなりすぎたものは自分自身の力をも顧り

 みず、もっと大きくなろうとしたり、限度を超えた望みを

 抱くのが普通である。がそうした場合、必ず前途には大きな

 陥穽は、いたるところで、ひそかに牙をといている・・・」と

 言ったのは推理作家の土屋隆夫である。欲望の虜になって

 いる者を陥穽はのがさない。と言うことである。

  

  自然は常に完全である。決してまちがわない。まちがいは

 我々の立脚点、視点の方にある。(ロダン)

  

  自然淘汰とは、有用でさえあればいかに微細なものでも

 保存される原理である。(ダーウィン)

        

人間は争う

テーマ:ことわざ  名句  名言  格言  箴言

   闘争心について知りたい人に

  石器時代から縄張り争いはあった。

  

  明治十年、東京の大森貝塚を発見したアメリカ人モールスは

 貝塚の出土品のなかにあった人骨が、他の獣骨と同じように

 切断されているのを見て、日本の古代人には食人風習が

 存在していたに違いないと主張した。しかし、これだけの

 資料で食人風習を云々するのは、少々乱暴だったようで、

 現在まで食人風習の事実は証明されず、疑問のまま残され

 ている。

  

  食人風習があったかどうかは判然としないが、他の部族と

 争って死闘を繰り返していたらしい証拠は数多く発見されて

 いる。

  

  縄文式土器が使われていた時代、西暦で数えると紀元前

 五百年のころの人骨に、石の鏃が突き刺さっていた例がある

 まさか誤って骨まで届く程の傷を負って死ぬわけはないの

 だから、武器を持って戦い、殺しあった一つの証拠といえる

 だろう。

  

  まだ原始的な社会であり、上下の階級もなく、ある一つの

 部族が他の部族を征服して奴隷にするような時代ではなかった

 当時でも、争いのために死んでいった人間がもういたのである。

  

  なぜ争ったのだろうか。古代の日本の自然は比較的恵まれた

 状態であり、ヨーロッパなどに比べると、食糧とする動植物は

 豊かにあった。縄文時代の遺跡である貝塚を発掘した結果の

 報告を見ると、出土する動植物の種類が多いのに驚かされる。

 貝類は、現在ではあまり食べられていないものまで含めて

 二百種に近く、魚の骨や哺乳動物の骨もたくさんある。一つの

 村落で、数百種類の動物が食べられていたという事実をもの

 がたっている。植物性食品も豊富だった。野生のヤム芋や

 タロ芋、トロロ芋、など、根茎類に事欠かなかったのである。

   

  食用の動植物がふんだんにあり、安定した生活を営んでいた

 日本人も、食糧を得るための狩猟生活のなかで、縄張り争いを

 したと考える。

  

  限られた食糧をできるだけ多く確保するために、奪い合いが

 起こるのならわかるが、豊かな食糧に恵まれていて、わりあい

 長い間一定の場所に定住していたと考える。石の鏃をとって

 争ったとは思えない、闘争本能のためと言うより、人間特有の

 競争意識、征服欲がこの時代の人たちにも、もう芽生えていた

 と考えられる。

  

  現在出土する石器時代人の骨は、発育もよく、立派で栄養的

 に優れた食生活をしていたらしい、食糧事情がよかった

 からだろう。日本人の骨が貧弱になり、身体が小さくなってい

 くのは歴史時代に入ってからであり、というより平安時代に

 なってかららしい。

            

人間、このすばらしきもの

テーマ:ことわざ  名句  名言  格言  箴言

  善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世の

 ひとつねにいはく、悪人なほ往生す、いかにいはんや善人

 をやと。

  

  真宗の安心を和文によって記し、他力信仰の奥義を示そう

 として編述された「歎異抄」のなかの親鸞上人の有名な言葉。

 親鸞は鎌倉時代の人、浄土真宗の開祖である。

  

  善悪の社会的基準は"往生"の観点から言えば意味がない

 外的基準をよりどころにして善行をつむことは、人間の救いに

 通ずるものではないと説いている。往生とは、現世を去り浄土

 に行って生まれ変わることである。

  

  世間の人の考える善人往生の説にたいして、真宗の極意

 である悪人成仏の趣旨を示した言葉が「…いはんや悪人を

 である」。悪人往生は逆説だが、宗教にはこうした逆説が

 必要なのだという。この点が道徳とはちがう。愚かな者、

 悪に手を染めるものを根本においている点に親鸞の考え方の

 ユニークさがある。

   

  悪い心のまま往生できるかどうか、議論のわかれるところ

 だろうが、悪い心を改めた者は間違いなく往生できるのでは

 あるまいか。「悪に強ければ膳にも強し」と昔から言われて

 いる。極悪非道な犯罪を犯した者が、ひとたび改心すると、

 こんどは逆に強い善人になる。

  

  こんな話がある、死刑囚、中村實は、幼い時代から教師や

 友達に軽蔑され、低能児、劣等性とののしられながら成長

 した。二十四歳のとき、雨の夜、飢えに耐えかねて農家に

 押し入り二千円の金のためにその家の主婦を殺してしまう。

 昭和三十四年のことである。わずか三十三歳で処刑され

 短い生涯を終った。

   

  歌人、島秋人の歌集「遺愛集」が昭和四十二年に出版

 されると、専門家からは絶賛され、一般の人にも評判が

 高く、島はその頭脳の明晰さと感情の鋭敏さを評価された。

 だがそうした声は秋人の耳には届くはずもなかった。

 島秋人とは中村實のペンネームだったからである。

  

  低能児・實を頭脳明晰な歌人・秋人に変身させたのは、

 中学時代の教師夫妻の暖かい励ましである。先生の手紙の

 中に書いてあった短歌によって、歌よみの道に入り、

 刑務所の独房で一人研鑽に励む。そして、實の秘められた

 才能が大きく花開く。

    ふるさとの 番神岬の浜にいて

      日昏(ぐ)れひもじく  聴きし鐘恋う

  

  人間は本当に死んだ気になってやれば何でもやれると

 いわれるが、これほど見事に成長する例はあまり多くは

 ないのではあるまいか。獄中の秋人を手紙を通して、

 大きな人間愛で見守ってやっていた人びとのすばらしさは

 どうだろうか。

     

  

 

 

1  |  2  |  3  |  4  |  5    次>    最後>>

最近の記事一覧

カレンダー

<<      2012/05      >>
29 30 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 1 2

ブログランキング

総合ランキング
124位 / 1236人中 up
ジャンルランキング
4位 / 11人中 keep
グルメ

HTMLページへのリンク

プロフィール

三日月

皆様に少しでも安くておいしい料理を提供できるよう、日夜研究を続けています。

ホームページ

このブログの読者

お気に入りブログ

最近のトラックバック

参加コミュニティ一覧

フリースペース