長浜城
テーマ:ブログ
2007/04/25 11:00
戦国武将が夢の跡・・・。
北淡海(きたおうみ)に残る
足あとをたどる。
今回は、豊臣(羽柴)秀吉や石田三成、浅井長政ら
湖北で活躍した戦国の武将にゆかりのある場所をめぐる旅。
日帰りでも回れるけれど、距離もあって山道が多いので
どこかで1泊してじっくり見て回るのもオススメ。
(あちこち寄り道もできるので
)
このコースを今回は自動車
で回っていく。
(もちろん電車とバスを駆使して巡ることも可能。)
長浜駅西口から歩いて5分ほどのところにある豊公園にあるのが、
この
「長浜城歴史博物館」

長浜城の歴史について簡単に紹介すると・・・
戦国時代、
姉川の戦いなどで浅井氏の滅亡にもっとも功績のあった秀吉は、
信長から坂田・浅井・伊香の3郡の大部分とともに、
落城後も残っていた小谷城が与えられた。
それからまもなく、秀吉は湖北の中心を
小谷から交通・地形的に便利な湖岸沿いの「今浜」(現・長浜)に。
地名も信長から1字もらって「長浜」と改め、
長浜城の築城にとりかかった。
さらに長浜城築城の際、
一人の女性が人柱となった話も残っていて、
長浜城の石垣の北側にその話を刻んだ石碑がある。

長浜城は、秀吉のあと、
山内一豊など数人の城主を迎えたが廃城となってしまったそうで、
廃城後、
長浜城の建築物や石垣の多くは彦根城に運ばれたと伝えられ、
敷地も農耕地として利用されるなど、
長浜城の縄張りは徹底的に破壊されたもよう。
(家康の秀吉嫌いが原因?)
明治時代に史跡保存のための公園化がなされ、
豊公園の整備が進む。
この当時、天守跡には老松や稲荷神社などがあったのだそう。
大正天皇即位記念に園内が整備されたときに造られた築山には、
散在していた長浜城の石垣として使われていた石が、
再び石垣風に積まれている。

昭和14年・夏の渇水で琵琶湖の水位が下がり、
井戸跡が発見され、
現在そこには遺構と共に「太閤井址」の石碑が建てられいる。

そして、市民の寄付と要望によって、
城郭型の建物を、ということになり計画が進行。
秀吉が築城した当時の長浜城の姿が描かれた絵図や図面は
残念ながら残されていなかったので、位置や規模は推測して、
外観は、
同時代の他の城郭(犬山城や伏見城など)を参考に
設計、再興され、昭和58年に完成・開館したのが
「長浜城歴史博物館」。

↑写真は博物館入り口
太閤・秀吉の天下統一の足がかりになったともいえるこの長浜城。
館内で歴史の面影に触れた後は、
展望台になっている天守閣に上って
秀吉も眺めた琵琶湖や城下町を見下ろして
一国一城の主の気分を味わってみるのもイイかも。

時間があれば、多くの店が軒を連ねて、
観光スポットとしても人気の高い長浜城下のマチ歩きも楽しい。

次は秀吉の右腕となって働いたといわれる石田三成のふるさとへ。
県道509号を道なりに東(山の見えるほう)へ向かう。

北淡海(きたおうみ)に残る
足あとをたどる。
今回は、豊臣(羽柴)秀吉や石田三成、浅井長政ら
湖北で活躍した戦国の武将にゆかりのある場所をめぐる旅。
日帰りでも回れるけれど、距離もあって山道が多いので
どこかで1泊してじっくり見て回るのもオススメ。
(あちこち寄り道もできるので
)このコースを今回は自動車
で回っていく。(もちろん電車とバスを駆使して巡ることも可能。)
長浜駅西口から歩いて5分ほどのところにある豊公園にあるのが、
この
「長浜城歴史博物館」

長浜城の歴史について簡単に紹介すると・・・
戦国時代、
姉川の戦いなどで浅井氏の滅亡にもっとも功績のあった秀吉は、
信長から坂田・浅井・伊香の3郡の大部分とともに、
落城後も残っていた小谷城が与えられた。
それからまもなく、秀吉は湖北の中心を
小谷から交通・地形的に便利な湖岸沿いの「今浜」(現・長浜)に。
地名も信長から1字もらって「長浜」と改め、
長浜城の築城にとりかかった。
さらに長浜城築城の際、
一人の女性が人柱となった話も残っていて、
長浜城の石垣の北側にその話を刻んだ石碑がある。

長浜城は、秀吉のあと、
山内一豊など数人の城主を迎えたが廃城となってしまったそうで、
廃城後、
長浜城の建築物や石垣の多くは彦根城に運ばれたと伝えられ、
敷地も農耕地として利用されるなど、
長浜城の縄張りは徹底的に破壊されたもよう。
(家康の秀吉嫌いが原因?)
明治時代に史跡保存のための公園化がなされ、
豊公園の整備が進む。
この当時、天守跡には老松や稲荷神社などがあったのだそう。
大正天皇即位記念に園内が整備されたときに造られた築山には、
散在していた長浜城の石垣として使われていた石が、
再び石垣風に積まれている。

昭和14年・夏の渇水で琵琶湖の水位が下がり、
井戸跡が発見され、
現在そこには遺構と共に「太閤井址」の石碑が建てられいる。

そして、市民の寄付と要望によって、
城郭型の建物を、ということになり計画が進行。
秀吉が築城した当時の長浜城の姿が描かれた絵図や図面は
残念ながら残されていなかったので、位置や規模は推測して、
外観は、
同時代の他の城郭(犬山城や伏見城など)を参考に
設計、再興され、昭和58年に完成・開館したのが
「長浜城歴史博物館」。

↑写真は博物館入り口
太閤・秀吉の天下統一の足がかりになったともいえるこの長浜城。
館内で歴史の面影に触れた後は、
展望台になっている天守閣に上って
秀吉も眺めた琵琶湖や城下町を見下ろして
一国一城の主の気分を味わってみるのもイイかも。

時間があれば、多くの店が軒を連ねて、
観光スポットとしても人気の高い長浜城下のマチ歩きも楽しい。

次は秀吉の右腕となって働いたといわれる石田三成のふるさとへ。
県道509号を道なりに東(山の見えるほう)へ向かう。

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